「結果」と『プロセス』の評価
やっぱりアメリカには勝てなかったと悔しがるのか、
いや今の戦力でよく戦い、日本全土にまたなでしこ旋風を
巻き起こしたからよくやったと賞賛するのか。
サッカー女子のワールドカップ。
どちらかというと私はグレー色。白と黒のどちらでもありません。
ですから白と黒が混ざった色でグレー。要はどちらとも取れるから
そうせざるを得ない。
何回も言います。スポーツというのは理不尽なもので、決勝まで
勝ち続けた日本チームを称える声、声、声。町中にあふれんばかりと
報道も騒ぎ立てます。しかし、終わってしまえばその余韻はわずか。
決勝に勝っていれば少しは長引くのかもしれませんが、一瞬の輝きが
スポーツの華なのでしょうね。
もしかしたら桜の花よりも儚いものなのかもしれません。と、
一人このことを考えながら悦に入っている(加藤)です。
(いや、まだ続いているなぁ。そういえば今日のニュースで
なでしこリーグの話題をやっていた、、、)
話を戻しましょう。結果で評価すると「残念・悔しい」となり、
プロセスで評価すると「良くやった・満足」となります。
確かにスポーツは勝敗をルール上で競うものであり、勝・敗、白・黒が
つかなければスポーツではなく、それがなければ一種のレクレーショナルな
(遊びの)身体活動ということになります。ですから勝ち=価値にこだわる。
それだけでも十分スポーツをやるモチベーションを芽生えさせるのですが、
そこに輪をかけるように褒賞がついてくる。栄誉も得られる。それがお金なら
これはもうプロスポーツだ。
ここに至ってどんなことしてでも「勝つ」などというイカガわしいスポーツが
出現するわけです。ルールすれすれ。そして見えないところで反則してでも勝つ
なんていうことが蔓延ってくる。暴力で恐怖心を煽って火事場の馬鹿力を
発揮させる昔の手法もルール違反の賜物でした。(反省しきり)
こうなるとやはり如何なものかという気持ちに自然になってしまう。
何も勝ちだけにこだわらなくともという、今度はスポーツ骨抜き論が出てくる
わけです。しかし、根本はスポーツに勝敗があるのが大原則であり、それを
否定した時点でスポーツを論じていることにならなくなります。
あれっ!また脱線ですね?失礼。ですからなでしこについて総じて言えば、
スポーツ的には「もうひとつ」。脱スポーツ的には「大変よくやりました」。
となるのでしょう???
接戦を勝ち上がるその「粘り」強さは際立っています。
と先週書きました。その通りだと思います。
高校野球でも一回戦に接戦をものにした無名校が試合を重ねるうちに
上手になっていき気がついたら決勝戦まで行っていたというのと
似ている気がしました。
見ている方としてはハラハラドキドキのスリルを味わいながら、
最後に勝ってくれるという最大、最高のプレゼントをくれるわけですから。
やはりなでしこの成長路線に沿った活躍は観る者を感動させてくれました。
それは賞賛に値するでしょう。佐々木監督の選手の力を最大限に発揮させる、
卓越した技術才能が全開だったとも思います。
こう話しているとグレーと評価しましたが、
私の評価は、かなり白に近いグレー色になっているような気がします。
それは、彼女らは、バレーボールにはなかなかできない芸当をやってのけて
くれたからというインセンティブが付きます。
体格の勝る相手にスピードと技術で勝る。
これ今のバレーボール界ではほとんど不可能なことになっていますが、
なでしこは少なくとも決勝まではそれが体現されていたと私はそう思っています。
ここに人気が出る秘密があった。(実は日本のバレーボールはそうやって
一時期の黄金時代を迎えたわけです。1960~1980年代)
日本人のメンタリティの中には「判官ひいき」というのがあって、弱い者を
応援してしまう気質がある。いいじゃないですか!強きをくじいて弱きを助ける
など典型的スーパーヒーロー、ヒロインを賞賛する文化。それを彼女らは
体現してくれていたと今回のワールドカップを総評できると思うのです。
宮間選手なんかは、身長何センチ?ごく普通の女性並み。ですが、
並みいる大型の選手に対して技術で対抗。これまた日本人が好きな牛若丸。
柔よく剛を制す。
これは競技性の違いもあるのでしょう。しかし、バレーボールも斯(か)くあらんと
思ってしまうのです。背の高い人たちばかりのものではない。
バレーボールもそうなりたい。
ですから、やはり白に限りなく近いグレーなのでした。
○「セッターがいま一つ」セッターの機能について。
すみません今週はお休み!
【編集後記】
読者質問「高速バレーボールに対抗するには?」
要するに、
高速バレーボール=セッター中心の攻撃に関する戦術
ということが言えるでしょう。
前号で、高速バレーボールのセッター君のコメントを想像力逞しく
描かせてもらいました。恐らく多かれ少なかれこのような面白みが
潜んでいるのではないでしょうか。
その「なぜ」を知る事=本質を観る事によって、対抗する戦術も
見えてくるのです。
キーワードは「セッター中心」というところです。
前述のサッカーでもそうですが、ゲームメイクをする選手に仕事をさせないこと。
ですからサッカーにおいては、その選手へのボールの供給を防ぐ、もしくは
ボールを保持された場合にも自由に次のプレーへ移行させないプレッシャーを
かける事をしますね。それと同義になります。
この場合のサッカーとバレーボールの決定的な違いは直接プレッシャーを
かけられないこと。(バレーボールはネットで区画されて相手コートには
侵入できません。)ではどうするか?
で・す・が、、、ここからは想像力の領域!
すみません。これ以上の説明はこのメールマガジンというおおやけの場では
避けなければなりません。それは読者の中で高速バレーボールもしくは
速攻コンビネーションバレーボール(セッター中心)の戦術を取られている
指導者・コーチの方もいらっしゃるでしょうし、中立の立場にあるべき私は
一方に利益になる情報についてはご提供できないことをご理解下さい。
想像力を逞しくすることで、高速バレーボールに対抗する手段を創造下さいね。
健闘を祈っております。
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